【鬼滅の刃】煉獄杏寿郎に学ぶ漢の矜持

鬼滅の刃_無限列車編
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こんにちわ、たけしGXです。

「鬼滅の刃」の映画を観てきました。

いや~、感動しました。

煉獄杏寿郎がカッコよ過ぎます。

ただ、かっこいいだけでは無く、漢として学ばされる事がありました。

この感動を伝えるにはネタバレせずには筆者の文才では無理なので多少のネタバレを含みます。

あくまで筆者の主観による考察なので、少しでも共感して頂ければ嬉しいです。

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最初は変な人という印象

杏寿郎の登場シーンは印象的でした。

他の乗客が居るのはおかまいなしでひたすら駅弁を食べて、大声で感想を言う杏寿郎。

炭治郎が質問しても、余計な相槌でスムーズに会話が進まない。

これがオフの姿なのでしょう。

正直変な人が出てきたな~と思いました。

自己中心的で正確に難があるのかな、やっぱり何かに優れた人はどこかしらぶっ飛んだところがあるもんかな?

勝手に納得していました。

まあ、映画を観終わった後の今となっては、微笑ましいエピソードです。

迅速かつ的確な指示

魘夢の悪夢?(幸せな夢?)から覚めた杏寿郎。

どうやって覚めたかは劇中では出てこないが、炭治郎と同じく自害という道しかないのなら自力でたどり着いたのは流石というべきでしょうか?

そして目覚めた後は瞬時に状況を判断して、炭治郎たちに的確な指示を出す。

柱とは個の能力が優れているだけではない。指揮能力も優れているのでしょう。

今までいったいどれだけの鬼を退治してきたのでしょうか?

その経験が迷いなく的確な指示を出せる理由だと推測します。

ビジネスの世界でも同様だなと考えさせられます。

やはり圧倒的な経験値は自信にもつながるし、行動に重みといいますか、説得力が違います。

突っ込みどころがあるとすれば、炭治郎達が戦っている所を見たこともないハズなのに戦力を推し量ることができないんじゃないか?

杏寿郎の神速の斬撃で端から端まで切り刻んでいけば、魘夢の頭部を見つけるのは容易だったんじゃないか?

といった事が思いきましたが、

若い者に経験を積ませる。

魘夢の他に仲間の鬼がいる事を想定して戦力の温存。

といった事まで考えた末の行動だったのかも知れません。

さすが柱、底が知れません。

絶対に全員守るという強い意志

全員守るのが責務だと言う杏寿郎。

列車に乗客全員を人質に取られているといっても過言ではない、この絶望的な状況でそれが可能だと信じて疑わない。

どっからその自信が沸いてくるのか?

もしかしたら柱にとっては造作もない事なのか?

でも期待してしまう。

やってくれると思えてしまう。

そして実際やってのける。

有言実行で決してブレない意志。

煉獄のアニキ~と付いていきたくなるのは解る気がする。
(でも、普段の会話がアレだとちょっとキツイかな…無駄にうるさいし…)

根っこにあるのは母親の言葉

そして、そんな杏寿郎の精神的な支えになっているのは、幼い時に亡くなった母親の最期の言葉。

「強い者が弱い者を助けるのは使命」

堕落した父親からは何も言ってもらえなくなった杏寿郎はきっとこの言葉にすがるしか無かったのでしょう。

そして、弟にとっての光は自分しかないと悟り、母親の変わりに励ましていく。

何て健気な少年だったのでしょうか?

これだけでも泣けてきます。

なぜこんなに心に響くのか

ひとえに健気だから。

これに尽きるんじゃないでしょうか?

切っても切っても無限に再生する鬼に対して、人間は一撃食らえば致命傷という圧倒的な不利な状況。

それでも文句や泣き言は一切言わない。

どれだけ傷を負っても絶対に諦めない、心が折れない。

猗窩座は言う、

「鬼になれ!鬼になって至高の強さを目指そう!」

それに対して杏寿郎は、

「価値観が違う!鬼になることは一切ない!」

と一蹴する。当然です、強さが欲しいワケではない、弱いものを守るために結果的に強くなっただけなのだから。

強さは手段であって、目的ではない。

「逃げるなんて卑怯だぞ!こっちは不利な状況で戦ってやっているのに!負けていない!」

炭治郎が言うのもわかります。

そんな事を言ってもしょうがない、どうにもならない。

たぶん炭治郎自身もわかっているだろうけど、言わざずにいられなかったんでしょう。

煉獄杏寿郎は幸せだったのか?

至高の域に届きそうなぐらい強さを手に入れるには、きっと想像を絶する努力が必要だったでしょう。

母親が亡くなって、父親が堕落してからの杏寿郎の人生はひたすら我慢や努力の繰り返しだったと思います。

そんな人生で幸せだったのかな?

ふとそんな思いがよぎりました。

これは、最期に見せた笑顔が答えでしょう。

自分の責務を全うできた。

炭治郎達という次の世代に託すことができた。

もはや悔いはない。

といったところでしょうか。

母親に認めてもらえて良かった。

ゆっくり休んで下さい。

煉獄のアニキ、お疲れ様でした。

自分も柱だと気付かさせられる

ああ、そう言えば自分も家族を支える大黒柱だったな。

家族を守る為に戦っていかなければならないのは同じだなと。

家族を守るのは自分の責務なのだ。

自分が倒れたら家族は生きていけない。

息子が立派に一人立ちするまでは決して倒れない。

そして、ただ守るだけではなくたっぷりと愛情を注いでやりたい。

上手く全うできるかな?

いや、できるかなではなくやるのだ。

煉獄さんのおかげでそんなことを再確認することができました。

まとめ

いやー、いい映画でした。

記事を書きながら改めて振り返ってみてしみじみとそう感じました。

この映画は耐え忍ぶのが美徳とされている日本人の尊さが溢れている、日本が誇る作品だと思います。

映像がグロいとか、残酷な描写があるとか、過保護な保護者が騒いでいるようですが、そんなところを観る映画ではないです。

何度も言いますが、いい映画でした。

泣いた、感動した。

ありがとう煉獄のアニキ。

 

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